| ぢょやのコラム 2005.2.26 |
京都議定書 |
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2月16日に京都議定書が発効。2012年までに温暖化ガスの排出削減が義務づけられた。アメリカが批准せず締結国の排出量は50%に満たないとか、今後相当な排出国になるであろう中国には削減義務がないなど、疑問点は多々あるのだが、何はともあれ人類が自分たちが暮らす環境を自分たちの手で守っていかなくてはいけないのだ、というところに視線を向ける第一歩を踏み出したことに間違いはない。 排出削減の努力目標は1990年を基準に考えられ、日本は1990年に比して6%の削減が課せられている。これはEUの8%よりも軽い目標ではあるのだが、日本は省エネ先進国で、すでに1990年時点で省エネ機器の利用が多かったため、また、京都議定書の策定時、日本は不況で経済発展があまり見こめない状況下での数値作成だったため、この目標を達成するのはかなり難しいと言われている。というよりは、世間の論調を見てみると「達成は不可能」と言わんばかりに、どことどのくらい排出権取引をするのかに焦点が移っているように思う。 何かがおかしい。日本は本当に省エネ先進国なのだろうか。省エネ機器は新しいものほど省エネ率は高い。しかし、裏を返せば、古いものがまだ使えるのに、次々に新しい機器に買い換えている可能性がある。その場合、その機器を作るのに使われる資源やエネルギーと、その機器による省エネ率はどちらが高いのだろうか? 経済大国は無駄な消費が多いだけなのではないだろうか? 街にはジュースの自動販売機などがあふれている。ちょっと歩けばコンビニにも出くわす町の中で、自動販売機が本当に必要なのだろうか? 日本中から半分くらい自動販売機を撤去すれば、相当な省エネになるのではないだろうか。街の中だけではない。家の中にも、例えば多くの家庭のトイレに暖房便座がある。便座にウールのカバーでも付けておけば特に暖房まで入れる必要はないように思うが、誰もいない時にまでずっと保温されている便座に使われる電気は、すぐにでも削減できるのではないだろうか。最近は乾燥機付き洗濯機も普及しつつある。しかし、天気の良い日に洗濯すれば乾燥機などいらないのに、そこまで全自動にする必要があるのだろうか。 できることはいくらでもあるはずだ。それなのにやる前からあきらめていてはできることもできないだろう。いや何よりも、『京都議定書』と日本の都市の名前が付けられた条約において、日本が、まず努力する姿勢を見せるべきではないのだろうか。日本が行うべき国際貢献は、まずこうしたところにあると思いたい。 |