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プロローグにも書いているけれど、私が手話を始めたのは「自分のため」である。自分の言いたいことを自分の言葉で伝えるため。その言葉の中にたまたま手話も含めなければならない、という状況に出会ったがために手話を始めたのである。 だから正直言って私の立場としては、手話を使って通訳、ボランティアをしたりとか、ろう運動に参加したり、などということには関心が薄い。聞こえない人の側からそういうところに協力して欲しいという要望があればしないこともないし、聞こえない人に伝える言葉として、手話の方ではなくて、文字による伝達も含めると、そういうのは得意とする分野だから、何かしら動いていることはあるので、そういう意味ではろう運動にも関わっている。けれども自分の方から積極的に福祉的活動をする、というのは私のスタンスとは違うものであることは了承してもらわなくてはならない。 こういう考えは最近では少数派に属するものではなくなっているようなので、非常にやりやすくなっている。ただ、そういう考えの人はだいたいが手話の技術が伴わない言い訳に使っている場合も少なくないので、そういう意味では私とは立場が違う。私が求めている手話は「適度に通じる」というものではなく、完璧に、どんな聞こえない人とでも意思の疎通を図るための手話を獲得する(研鑚する)ことであるので、「永遠の手話学習者」であろうとする姿勢は多くの通訳者たちと共通する部分があると思う。 (ただ、私の目的はあくまで「意思の疎通」であるので、ひょっとしたら将来的に手話でなくてもそれができる、ということになれば、手段である手話の学習は収束する事になるかもしれない。) そういえば、私が聞こえない人と一緒にいたいと思う理由がもう一つあって、それは人類学的に聞こえない人の能力を身に付けたい、ということである。人は多くの使っていない能力があるが、障害などがあるとその代替機能として、他の器官の能力が開花する、ということがある。多くの聞こえない人も、聞こえないという分、見るための能力や、空間を察知する能力に長けているように思われる。手話や聞こえない人と関わることによって、私の中にもそういう能力が芽生え、より「神に近づく」一助となればという野望もあるのである。 すべては「自分のため」ではあるが、私の野望が達成した暁には、世界平和が訪れるという信念があるので、私のため=世界平和のためであることをご理解いただきたい。 |
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