2008年1月アーカイブ

今は文房具屋さんなわけですが、文具の中にも変わったギミックが使われていて「これ便利そうだなぁ」とか「この機能はすげえや」とは思うものの、でもそん なに使わないから値段が高いと買わないよな、なんて商品はいっぱいある。というか、そういう商品はだいたいにあんまり売れてはいない。そしてそういうのは カタログ上で見ることはあっても、実物にお目にかかれることがないものもたくさんある。
ただ、根がエンジニアなもので、そういうのを見ると使わないとわかっていても個人的にはとっても「欲しいなぁ」と思う。特に他のもので代用がきかないような機能をもってたりすると、「見てみたい」とか「使ってみたい」って思うから、ますます欲しくなる。
まぁ買えるものなら買ってしまうこともあるんだけど、家人は家の中に物が増えるのを喜ばないし、お金もそうそう際限なく使えるわけでもないから、買える物も限られている。
で、職務上の権利を行使して、仕入れしてしまうってことも可能なのだけど、さすがにあんまり売れないと分かっているものを仕入れてしまうと、そし てそういう商品に限って高価だったりするから、本当に売れないと損失になってしまうので、そこもまたあまり度を超してやるわけにもいかない。
でも、お客さんの中にもそういうモノマニアな人はいるから、「この人ならこれ買ってくれんじゃねーかなぁ」みたいに仕入れをしておいて、実際にオススメして買ってもらって、「感想聞かせてくださいね」みたいな感じで、実物を目にすることを企んだりする。

今日も1人、うまーくひっかかってくれた。
この罠?にかかる瞬間は最高に楽しいしうれしい。
まぁ商品が珍しい物が見られるというのもうれしいが、自分の価値観、「この商品は素晴らしいんだけど売れない。でも、絶対に良いんだから。」っていうポイントをちゃんと分かってくれる人がいる、というのがまたうれしい。
たぶん、それを作ってる人はもっとうれしいと思う。

そうして考えてみると、ものづくりとか商売って結局基本はそういうことなのかなぁと思う。
お客さんと価値観を共有すること。良いって思う物を作って、仕入れて、それを良いって思って買ってもらうこと。
そういうところに楽しみがあるのだと思う。
というか、そういう仕事しないといかんなぁ、と思う。
ただ単純に物を売る、買う。お金をやりとりする。というのが仕事じゃない。
そういう基点で仕事をしてもらえるといいんだがなぁ。
amazonでCDを買った。
八神純子さんのCDだ。
実は小学生~中学生にかけては八神純子さんが大好きだった。
当時はお金もなかったので、小遣いを貯めてはレコードを借りてテープに録っていた記憶があって、そのテープは残っているのだが、一部を除いては実家にある。

彼女の歌は「みずいろの雨」や「パープルタウン」などが有名で、私もみずいろの雨から入ったクチであるが、やはりその辺はまだ言ってしまうと大衆 受けの歌謡曲レベルでもあって(決してこれらも悪いわけではないが)、その後、だんだんと熟成されて、ソニーからムーンレコードに移るあたり、アルバム 「FULL MOON」、「COMMUNICATION」などが最高に良いと思えるのである。
で、その最高のうちの「FULL MOON」の方が復刻CDで出ている、というので、それを買おうかと思ったのだが、なぜかその復刻が出たら、その前に復刻された時のヤツも市場に出回って きて、今回の復刻はデジタルリマスタリングで音は良くなってるけど、若干何かが違うという説もあったので、その市場に出回ってきた前の復刻CDを買ってみ た。
で、一枚だけ買うのもなんなんで、他にも気になった分を合計3枚買ってしまった。
なんなんでって、別に一枚でも良かったのだが、昔は必死こいて"レンタル"だったのに、一気にCD3枚も買えるなんて、大人になったもんだ、と 思ったが、よく考えたら物欲が制御できないお子様に逆戻りしている感がないでもない。というより、全然大人じゃなくバカかも、と思った。大人買いって=バ カ買いである。

それはさておき、今日そのCDが届いたのだが、やっぱり、良い。
他に好きな歌い手さんもいっぱいいるけど、この人の歌声を聞いてしまうと、やっぱり他の人は2番手、3番手なのである。初心に返るというわけではないけど、やっぱりこの人の素晴らしさの前には他の歌手はかすんでしまう感じがする。
というか、ポプコンなどを経て出てきたアーティストって、やっぱり素晴らしくって、それを思うと、最近の歌手なんて、相当カスな気がするのは私だけだろうか。声量から何から、ここ10年くらいでデビューしてる人の中で、足下に及ぶ人が何人いるのか?と思う。
平原綾香さんとか、うまいし良い歌手だとは思うけど、でも何かそういうパワーというか迫力というか、そういう点であの頃の歌手とは全然違うように思えるのだ。

ということで、CDずっと聞きつつ、歌いつつ、今日も夜更かししてしまった。
できれば「COMMUNICATION」の方も復刻して欲しいなぁ、とファンはみんな思ってるみたいなんですけど、いろいろ難しいのかな。そこからの3枚のアルバムが、めちゃくちゃいいんだけどなぁ。
amazonで家にいながら欲しい物が手に入る、やっぱりこの便利な世の中でも、販売されてないもんは買えないんだよねっていう現実があるのが、まぁ多少不満ではあるけれど、でもそこに救いがある気がします。
だってねぇ。何でも手に入っちゃったら、ダメじゃん。

と、ほとんどの人わからない日記でした。
よくエレベーターで出るときに「閉まる」ボタンを押していく人がいますけど、たぶん乗って待ってる人への親切でやってるかと思うのですが、やめた方がいいと思います。
まず、最近のエレベーターは空いた瞬間に閉まるボタンを押しても閉まらないようになっているので意味がない。そして、万が一閉まるボタン押して閉まった場合、みっともないし、何よりはさまる危険があるので危ない。
これをやる人は結構おじさんとか多いような気がするんですが、どっかでビジネスマナーとかで教えていたんでしょうか? そうだとしたら、そういうマナー講座は即止めてもらいたいですね。

ちなみに、エレベーターで階数押し間違えたりして「ちょっとキャンセル」とか思ったときにキャンセルできる方法があるのって知ってました?
だいたいが「押した階数のところ長押し+ダブルクリック」という感じでキャンセルできるんですが、メーカーによって違うみたいです。
ちゃんとまとめてる人がいますね↓
http://denzo.sakura.ne.jp/archives/2005/0609_000000.htm
(昔、私が見たサイトはブログじゃなかったんだけど、同じ人かなぁ?)
これを知ってしまうと、実際の使用目的よりも、ついつい遊んでしまうのが難点ですけどね。
出身校である駒澤大学が総合優勝を達成し、なにはともあれ(だからどうだと特別に関係があるわけではないのだけれど)めでたい気分ではある。
前評判通りに力を発揮し優勝を遂げるなんて、プレッシャーやらなんやらすべてを蹴散らせる力、というか余裕があったように思う。
選手たちには素直に拍手を送りたい。

それにひき換え。

今年の箱根駅伝では棄権が3校も出てしまった。過去最多である。
確か前に棄権が2校出てから、競争が激化しすぎて厳しすぎるのでということで出場校を20校に増やしたと思うのだが、まぁ増やした分、棄権する数が多くなったとも言えなくはないかもしれないが、結局元の木阿弥に戻っているのはどうしたことだろう。
近年の科学的なトレーニングによる選手の体調管理などもふまえ、過去の根性論に比べればよっぽどか環境は整っているように思うのに、なぜ棄権するような学校が出てくるのか?
やっぱりそこは余裕のなさなんだと思う。

科学的トレーニングは選手の体調管理もできるようになった分、極限まで選手の能力を引き出せるようになったかもしれないが、持てる物を全部出させてしまう。
そうなると、箱根駅伝のようにチームでたすきを繋いで、目の前の見えるライバル校を抜き去るためには、できれば120%の力を発揮したい、と思ったときに、すでに100%の力で走っていて、力の差はわかっているにも関わらず、無理をしてしまう。結果、体調不良に陥る。そういうことだろうと思う。
過去、根性論で言うならば、練習が80%で、たまたま本番で100%の力が出て、区間賞だった、あるいは抜くことができた、ということだったんじゃないかと思うのだが、すでに100%を出し切っているのに、さらに無理をする余裕などないのに、やっぱりそこはチーム戦だから「自分が頑張れば」と思って無理をしてしまう。根性では超えられない壁が待っているのに、無理矢理根性を引き出すから壊れる。
その根性を引き出さざるをえない状況に追い込まれていることもさることながら、たぶん練習で120%を出してしまうとどうなるか、というところまではシュミレーションされていないんじゃないかなぁと思う。
どうせ科学的にやるならそこまでやってもらいたいもんだと思うのだが、そうはいかないのだろうか。

箱根駅伝は注目されすぎている。ゆえに力を絞り出してしまう傾向にあるように思う。
そして余裕のないチームから脱落する。
箱根駅伝だけでなく、マラソンも注目されているという意味ではそうかもしれない。
限界まで走らせるから、一度故障すると二度と立ち直れない。そういうとこまで追い込んでしまっているように思える。
注目を集めるスポーツは、何かしら限界を超えさせようとして、ムチャをしていないだろうか。
確かにスポーツは見ている方も感動するが、最近は人間の肉体の限界に挑戦する様が、少し痛々しくも感じられる。
もうちょっと遊びをもって、チャレンジすることができないものかと思う。
あるいは、トレーニングの方法が何かしら間違っていて、そこから根本的に直していかないいけないのであれば、直していってほしい。
日本人はそもそも体力的に及ばないことはわかりきっているのだから、同じようにやってはいけない。

スポーツ選手が美しいのは、やはり競技をまっとうするからであって、滅びの美学はそこにはいらないと思う。
あけましたおめでとうございます
昨年は一年の漢字が「偽」ってことになったほどに偽装だのなんだの多くて、ハッタリのオーソリティ?としては、ハッタリってバレないように瞬間的にかますから効果あるんであって、そんな長ーくやってたらあかんがな、という教訓を教えてやりたくなる一年でした。
さて今年はどんな年になるんでしょうね。
どうせなんで多くの人がもっと希望の持てる年になってほしいというか、したいというか。
微力ながら尽くしていきたいですね。

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