2008年4月アーカイブ

人にプレゼントをするのは好きな方である。
もらった人がどのように喜んでくれるか、を考えると、プレゼントを探すのに自然と力が入り、自分までうれしくなってしまう。
そう、人の喜びが自分の喜びになってくるっていうのは、今の姿勢にも通じる。
喜ばせるために情報を集める。知恵を絞る。工夫を凝らす。
こんなにも楽しい作業は他にはない。
何にでも共通してできればいいと思う。

プレゼントをあげても喜んでくれない人がいる。
「邪魔になる」とかなんとか、そう言われてしまうと、あげる気も失せてしまう。
と思っていたのだが、それはプレゼントを物としてしか捉えていない自分の即物的な貧しさでもある、と思うようになった。
喜ばせること、そのものがプレゼントだと思えば、何か物をあげることだけがプレゼントではないはずだ。
相手を喜ばせるために何ができるか。それをとことん考えればいい。

昨日のテレビで「相手が変わることを待っているだけでは見方が一片だけでつまらなくなってしまう。自分が変わって相手への見方を変えれば、どのようにでも楽しめるし、付き合い方の幅も広がる」というようなことを言っていて、あぁそうなんだなぁ、と思った。
相手がつまらない人なのではない。
必ず喜ぶ、喜ばせる手段があるはずなのだから、それを考えればいいのだ。
相手に喜んでもらってこその価値があるプレゼント。
突き詰めてみよう。
経験が多い。
「生き急いでいるんじゃないか」と言われたこともある。
でも、一回しかない人生。
人より多くの体験を出来た方が楽しいんじゃないだろうか。
そう思うだけ。

紆余曲折している。
いろんな挫折を味わってもいる。
でも、平坦な道よりも、変化のある道の方が気がつくことも多い。
回り道して、同じところに戻ってきたとしても、その歩いた分は無駄にはならない。
きっとそうだ。

時折、人生の面倒くささや重みに負けそうになる。
そりゃ常に前向きでいられるほど強くもない。
でも、そんな弱さも含めて自分を愛して、また一歩進む。
そこに見えてくるものがあるはず。
たぶん、何も考えずに生きている人よりもいろんなものが見えているはず。
それが自分の能力として生きている。

きっと道はまだ半ばだろう。
でも、拾ったものはきっと人より多い。
そして、どんなものも無駄にはしていない。
人生に無駄はない。
そう思う。
そのルールがどこから出てきて、何のためにあるのか知らないけれど、そのルールを破りたくなるときがある。
ただ単に今だけの衝動とはわかっていても、抑えきれなくなりそうで、ちょっと困る。
おそらく今回は何とか我慢するのだろうけど。
でも、それと関係あったのだろうか。
私に試練を与えるものが来るようである。
私を壊しに来るのだろうか。
それとも進化の鍵があるのだろうか。
今は待つしかない。

このアーカイブについて

このページには、2008年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年2月です。

次のアーカイブは2008年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0