去年とは違う8月6日

今年もまた8月6日がやってきた。Twitterにも書いたが、毎年平和記念式典で子ども代表が「平和の誓い」を読み上げるのを見て、こうした悲惨な歴史を子ども達さえも振り返えらなければならない事態を、二度と引き起こしてはならない、と思ってしまう。
子どもには、アホみたいに遊んでて欲しい。


というところで、去年と同じようになんとなく8月6日を迎えてしまったが、去年の8月6日の時点では、今の、今日のこの自分は想像できていなかった。というか、できるはずもなかった。

ぶっちゃけてしまうが、ここに書くべきことではないかも知れないが、今の自分はかなーり危険な状態にある。
そう・・・落っこちそうなのだ。



前の職場から離れて約一年が経つが、やっぱり、どんな経緯はあれ、というか、ほぼ何の経緯もなく、というか、自分としては、その仕事に就くときには「この 仕事が天職になるように」って言われて、その言葉通り、こんなに自分に合ってる仕事があるだろうかって思って働いてた職場で、しかも順調に、業績も問題な く働いてたのに、突然、唐突に「要らない」って言われて、自分のすべてを否定された気がしたというか、会社そのものの傾きに、業績順調な自分の部署が背 負って立て直しのためにこれから中心になって奔走していこうとした矢先に、もう裏切り以外の何ものでもない仕打ちを受けて、ショックを受けない人はいな い、と思う。

運命の再会ともいうべき流れがあって、東日本大震災の支援に役立てればと思って今の仕事に就くことになったが、これも正直に 言えば、7年前に「この手の仕事、俺にはできない。やっちゃいけない。」って思ってた仕事であって、とりあえず支援のためだし、期間限定だしって思って割 り切ってやってきたところがあって、今のところ何の問題もなくやってるように見えるけど、期間も延びちゃったし、なんか徐々に話変わってきてるし、実はこ のまま続けていくことに、自分としては、「やってていいんだろか?」って思いながら、深い迷路に入り込んでしまっている。

で、一年が経っ たところというか、この一年、ショックを抱えたまま、スッキリしない状態で日々を過ごしてきたら、だんだんとモヤモヤが広がってきた、というだけなのだ が、ここのところ情緒不安定で、人との関係もギクシャクしちゃって、さらに深みにはまっていく、負のスパイラルにはまりこんでる。
幸い、そういう自分を客観視できているのと、こんな自分でもまだ支えとしてくれる人がいて、そのためにも落っこってらんないなー、と思えるから、なんとか持ちこたえている。
ただ、自分的にはなんやかやでドツボだ。
おそらく、一部の人にしかわかっていないと思うが。

そもそもこうなってしまっているのは、自分の中での決めがないからだということはわかっている。
例えば、前職が天職だと思ったのなら、とことん争えば良かったハズだ。というか、争えば負けるはずは無かったのに、争わずにあっさりと引いた。それは取りも直さず、その前の時点ですでに「自分はこのままでいいんだろうか?」と迷っていたからだと、気がついていたはずだ。
そ して、今も。迷っていると言いつつ、本当なら迷うことはないはずなのだ。能力的な欠陥は、努力すればある程度補えるはずだし、本来の能力を発揮しさえすれ ば、自分に出来ないことではない。そもそも世の中に必要なことだと、ずーっと思っていたことでもある。それを手がけられることは、喜ぶべきことのはずだ。
が、今もまだ「このままでいいんだろうか?」と思ってしまっている自分がいる。

自分が何者なのか、そして何者になりたいのか、わからないままずーっと生きてきて、そのこと自体に迷ってる。

おいおい、何歳だお前? まだそんなこと言ってんの?
って言われそうだが、事実、そんな感じだ。
とりあえず、生きてて、何者にもなりきれていない自分がいる。
いや、何者になりたいのかすら、もはやわからなくなってる自分がいる。

で。
こ ういう時に「ありのままでいいんだよ」ってなぐさめ方があるが、そもそもありのままの自分が何なのかわかんなくなってる時点で、「ありのままでいい」って 言われても意味不明というか、もう否定形の自分でいいわけねーだろ!って燻ってるところに油を注ぐだけなので、そのなぐさめ方って実は危険だったりする、 というのは、言っておきたい。
言葉ではなく、態度で示してあげるだけでいい。

という突如アドバイスもぶっ込みつつ、そもそもが根性なしで、常に自分の決定から逃げてきている度胸がない自分に苛立ってるからこういうことになってるんだけど、今さらそれを言っても始まらないし、というところで、さて、どうしよう?ってことなのだ。
でも・・・わからんものはわからん。
何歳だろうが、そういう時はそういうもんだ。

迷うと人間弱くなるものだ。
だから、また奈落の底に落ちていくような気になる。
・・・けど、正直、前はそうなるべき人工的な原因があってそうなっただけなので、たぶん、今は大丈夫。
生きる、という根本のところでは、それこそそんなに弱くならないから。不思議と。

そう、何をしてても生きられるわけだし、何者でなくても、生きてはいられるのだ。
いろいろな関わりの中で、相手のある仕事の面では、宙ぶらりんなのは失礼なので、それは当然しっかりやっていくが、でも、たぶん、しばらくは、「本当は弱いのよ」って、ことにしておこうと思う。


今日、広島の原爆の関連で、NHK教育テレビで、ジュノーのことをアニメにした番組をやってた。
ああいう素晴らしい人に憧れるけど、いきなりそうなりたいかって言うと、「そこまでは自分じゃない」って言ってる自分がいるから、まぁ当分はダメだ。何者にもなれん。
気が向いたら復活するさー。

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このページは、zyoyatakuが2012年8月 6日 20:15に書いたブログ記事です。

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