あなたが癌でないなら私は癌ということになる

Facebookをやっているからといって、こちらのBlogを1年近く放ったらかしにしてしまった。Facebookを使えない人にとっては私の近況がわからなくなってしまったわけだが、私の近況なんてどうでもよさそうなものだが、実は私の親はこのBlogから私の近況を知っている。実際に実家に帰るのも5年に1回くらいなのだ。もうちょっと頻繁に更新せねば。

さて。
昨日は「ピンクリボンシンポジウム(東京会場)」に参加してきた。と言うとちょっと違う。お仕事として、今、日本対がん協会様の聴覚障害者への情報保障のお手伝いをさせて頂いていて、昨日もそのシンポジウムの手話/文字通訳を我々がコーディネートを行なったので、そのために会場に伺ったのである。しかも、コーディネートしたのは主に私の同僚で、その同僚が昨日はやんごとなき試験のためシンポジウムに行けなかったので、私が当日の要員として会場にいたのである。
で、当日の仕事としてはスクリーンのセッティングとか、手話通訳の立ち位置の選定とか、聴覚障害者が来場された場合の受付からの誘導、程度しか仕事はなかったので、本番が始まってしまえば、あとは当日そこにいる役得としてほぼ純粋に観客に近い形でお話を聞かせて頂いた。

"ピンクリボン"なので、知っている人は知っているとおり、乳がんに対する啓発を行なうイベント。ということで、男の私がそこにいて話しを聞いても・・・と思う方は甘い。男でも乳がんになる(全体の1%は男性患者らしい)し、しかも、がんに対する基本的な考え方というのは、乳がんであろうが、胃がんであろうが肝臓がんであろうが、どこの癌であってもなんら変わりはない。
検診を受けて早めに発見できれば、癌は克服できない病気ではない。(ひらがなで書いていくと文途中にあるとわかりにくいので、こっからは癌にします。)逆に発見が遅れればそれはそれで死に至ってしまう恐ろしい病気である。という、どちらの道を辿るのかは、日頃の心がけ次第である、という点では、みな同じ。(というか、癌でなくてもそうだと思うけど。)
そういう癌に対する正しい情報を、健常者だけではなく障害者にも伝えていこうという取り組みを今、日本対がん協会で行なっていて、それゆえにイベントに手話/文字通訳を付けて・・・昨日の講演では山田邦子さんも、手話で一曲歌ってくれたりなど、そういう広がりを見せています、という話しはまたちょっと後日に語るとして。(というか、そういう仕事の関係もあるので多少憚られるが、これから書くことは仕事は関係なく、個人的に思ったところを書いてしまう。)
いまや日本では、二人に一人は癌になるらしい。山田邦子さんの話によれば、バスに並んでて、あなたが癌じゃなければ隣の人が癌。コンサート会場で、列の半分は癌。ディズニーランドに大勢の人がいるが、そのうちの半分は癌。ミッキーとミニーがいたら、どちらかは癌。というくらいメジャーな病気なので、もはやそれほど恐れるものではない、らしい。
しかし未だに癌というと、その病名を告げられると死の宣告を受けたようになる。だが、実際には早めに発見をされて、完全に取り除ければ、治らないものではない、という。(転移や再発の恐怖もあるし、また浮腫などの後遺症の問題もあるけれど、それを言っていくとどんな病気でも同じだし、キリがない。)
で、その治るか治らないかの境目はさっきも書いたように日頃の心がけであり、ちゃんと検診を受けているか、にかかってくる。検診で早期発見できれば、その後の対処のしようもあるのである。
が、日本では欧米に比べ、まだまだ検診率が圧倒的に低いそうだ。

そこでこうしたイベントによって啓発を行ない、検診率を上げようということなわけだが、講演でも言われていたように、そもそもイベントに来る人は関心が高いので、検診を受けないでコロッと亡くなるような人は、イベントに来ないような人である。となると、堂々巡りである。
まぁ友達が友達を呼んで、というところでは少しずつの広がりは見せるけれど、根本的に検診率を上げる方法になりうるのだろうか。
私はシンポジウムで話しを見聞きしながら考えた。


みんな癌が危険な病気であることも知っているし、そもそも癌に限らず健康に関心が高いことは紛れもない事実である。サプリメントも売れるし、テレビで健康に関する番組なんてたくさんやってる。でも検診率が上がらないのは何故か?

私はふと、これも経済問題だよな、と思った。

みな何かしら病気は怖い。病院慣れしている人はすぐに病院に行くけど、そうじゃない人はなかなか病院に行かない。一つには放っておいても治る、と思っている。もう一つは「もっとやばい病気だったら困る」と思っている。ここが矛盾しているのだが、やばい病気なんだったら早く治さないといけないのにそうならないのは、そういう病気だったら仕事も休まないといけないし、収入も減るし、その先どうやって生きていけばいいのか採算が立たないから、そういう深刻なことを考えるくらいなら、「放っておいても治る」と思ってしまう人が多いのではないか。いわば現実逃避、あるいは打算的に、本当の自分の状態を知りたくない。だから検診も行かないのではないだろうか。

実は私も7月くらいからあまりお腹の調子も良くなくて、8月9月くらいをかけて、癌検診ではないけど、ちょっとお腹周りを人生初めての胃カメラなどを経験しながら検診してもらっていた。結果、元々悪いところがそのまま悪いとわかっただけで他はいたって正常ということも分かり、ある意味一安心だったが、2ヶ月かけて、検診の予約取るのに合わせて仕事の予定を作ったり、費用的にも2万以上かかって、ぶっちゃけ貧乏な私にとっては痛い臨時支出だったなぁ、と思った。
日頃アトピーで毎月病院に行ってるおかげで病院にかかることが苦にならない私だし、仕事も土日関係ない、ある程度平日調整が付くから検診行こうって気にもなったが(それ+対がん協会さんとお仕事で関わるようになったから診てもらっておこうって気にもなったのは実際大きい)、普通に平日びっちり仕事してる立場だったら、たぶん、あえて仕事休んで検診なんて行ってなかったと思う。そのくらい、日本人には仕事を休むことの罪悪感が大きいと感じられる。

それに。先日、EXILEのMさんが主演なのに救いようのない演技で話題になった『町医者ジャンボ』を、私は飽きることなく全部見てしまった一人なのだ、そのドラマでも、町工場の息子のフリーターがスキルス性胃がんであることがわかり、「50万で治療してやる」と言われ、金がないので親に泣きつき、親も最初は「そんな金ねえ」と言いつつも最終的に苦心して集める、みたいな話があった。
現実問題、治療には金がかかる。もし私も、先の検診でもっと悪いところがあって治療費がいくらかかる、とか言われた場合に、私には「いや、払えないんですけど」って言うしかなかったかもしれない。
ちゃんと仕事してる私にだって貯金はない。まぁ単に薄給なだけかもしれないけど、いまやフリーター大国になってる日本人に、果たして定期的に検診に行って、病気になったら治療費払いましょう、なんて余裕があるのかどうか。
そして、病気になった後の復職だって、正直難しいだろう。その苦労はうつ病の時に経験済みなので、想像に難くない。

そういう面倒なこと考えるくらいなら、今でさえ忙しくて仕事なんて休んだら周りに迷惑かけてしまうのに、休んでさらに面倒を作り出すことなんて出来ないよね、って思って、結果的に手遅れになる、ということなのではないだろうか、と思う。
本当は早めに見つける方が良いことは誰でもわかってる。でも見つかったら見つかったで面倒が待ってる、と思うと、おいそれとそこに手が付けられない。

経済的なゆとりや、先行きが見通せないと解決しない問題だと思う。そういう意味ではこの癌検診の問題は、少子化問題とも似てるな、と思った。
将来的にもどうなるか見通せないのに、結婚もできないし、病気にもなってられない。なんかそういう感じ。

経済的にではなくても、今この現在に仕事と検診とどっちが大事か、あるいは仕事と彼女(あるいは彼氏、家族)との時間どっちが大事かとか言われ、どちらも仕事サボって行くわけではなく、勤務時間後、あるいは有給を消化したりして行くにも関わらず、結果的に「仕事を優先しないのは悪」みたいな感覚のために、行けない(そもそも小さな会社に有給なんてない)。
アベノミクスどうこう言われているが、「仕事があるだけマシだから」みたいなところに追い込まれている人たちが、果たしてある程度しっかり仕事を休んで人間らしい生活をするだけの社会になっているのかどうか。

日本人の感覚を変えない限り、そしてそれによって余裕を生み出す社会ではない限りたぶん検診率とか上がらない。とか思うのであった。やはり世の中の仕組みを変えていく必要がある、というふうに思う。

と、大上段にかまえてしまうと何も進まない気もするが、こうしてちょっとした問題を考えるだけでも、世の中の矛盾が見えてくるのである。
果たして、政治家さんとかは、ちゃんとそういうところを考えて政治をやってくれているのだろうか。オリンピック開いて盛り上がるのはいいのだけど、本当の意味でそれで世の中が潤って余裕が生まれてくるのだろうか?
そういうところを問うてみたい。
そんなことを思うのであった。

っていういつものようにオチのないところで終わりますが、なんか1年前もちょっと医療系のお話で、今回もそうなった、ってのは私もそういう関心が高いのはなんでだろう、と不思議な気がした。

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このページは、zyoyatakuが2013年10月 7日 23:58に書いたブログ記事です。

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