老化する脳の構造って

以前は「誰とどこでどんな場面でどんな話をしたか?」というのを、はっきりとそれこそ動画を記録してるように覚えておくことが出来てて、決して同じ人に同じ話はしない、ということが出来ていたのだが、さすがにここ何年かはそういう完璧なことはできなくなってて、「この話をこの人にしたはずだけど、いつどこでしたっけ?」とか、「この人と話をしたはずだけど何の話したっけ?」というように、話の内容は思い出せるけど場面(映像)が思い出せない、とか、場面(映像)は出てくるけど話の内容が思い出せないとか、そういうことがちょくちょく起こってきている。
でもこういう忘れ方をするこの脳の構造として、映像としての記憶と言語分野の記憶のつながりがうまく結びつけらないか、あるいはどっちか忘れやすくなってるのかなあって思える。
そうすると、手話で話をした場合には、映像の方が思い出せればその内容も思い出せそうなもんなのだが、どうも事はそう簡単ではないらしい。
今日、「あれ、昨日ラーメンの話を誰かとしたような気がするけど、誰としたっけ?」っていうのを、ふとラーメン屋を見て思いだしたのだが、その話をした相手というか、話をしたのが音声言語で話をしたのか、あるいは手話で話をしたのかがしばらく思い出せなかった。
結局は思い出せて、手話だったから話そのものはある程度の映像を伴って記憶されてたのだけど、その「話をした」というという記憶が、手話であっても言語野の方に記憶されてるような感覚があって、やっぱ手話も言語なんだなぁって妙な納得もしかけたのだけど、それは単に私の記憶の仕方がそうなのであって、バリろうの人はどういうふうにその記憶を保持する、あるいは忘れるというのがふと気になった。
っていうか、そもそも映像付で誰とどこでどんな話をしたか覚えたりしてる私の記憶の仕方が普通では気もしてきた。

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このページは、zyoyatakuが2015年10月25日 19:44に書いたブログ記事です。

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