zyoyataku: 2011年11月アーカイブ

道交法を徹底して自転車に車道を走らせる問題について、これまでちょこちょこつぶやいていて、端から見ると自転車車道走行反対派に思えてしまうのだが、今 となってはほとんど自転車に乗ることなくなっちゃったけど、かつては私もサイクリストだったわけで、その観点から見ると、賛成でも反対でもない、けど問題 点がいっぱいだからそれは解消した方がいいよ、というのが私の立場である。
まぁでも、現状から言うと危険すぎるから、今のまま何もしないで法律だけ厳密に適用ってことなら反対である。

実際問題、前に原付に乗っているときから言っているが、走行性能が違う車両が、同じ路面を走るから危険なのである。
問題は、そう、速度の違う物が同じところを通るからいけないのだ。

その点では、原付だって、制限速度30kmなのに、制限速度50kmの公道を走る際に、どうしても邪魔者になって危険が生じる。だからって速度超過で走ってると捕まるのは理不尽だと言っていた。
それと同じように、歩行者の速度6kmって想定の歩道の上を、20kmも30kmも出して走っている自転車が通るから危険なのである。

なので、それぞれに専用道として、制限速度を設けてしまえばいいのだ。

例えば、
歩道は速度10kmまで。それを超える車両は自転車専用道へ。
自転車専用道は時速10km~30kmまで。
車道は原付以外のバイクか車専用。

現状だと、13歳未満か、70歳以上の老人と障害者は歩道を自転車で走って良いことになっているが、13歳~70歳って幅がありすぎである。これだと、子どもを乗せたママチャリとか、あるいは、荷物をいっぱい乗せたおばはんのヨタヨタしたチャリなんかも車道を走ることになるが、そんなの車道に出てきたら危険でしょうがない。特に、子ども 2人乗せたママチャリが事故った場合に、死人は一気に3人だ。そんなのアカンやろ、って思う (そもそも私はこの子ども2人乗せた自転車を認めた件も危険なんで止めた方がいいと思ったのだが)。
だから、ゆっくり走る分には、歩道でもいいよってことにして、でも飛ばしたらダメってことにするのだ。これだと歩道の危険度は相当に減る。歩道をぶっ飛ばすアホチャリが人をはねるから危険なのだ。

そして、自転車専用道は逆に、ゆっくり走っちゃダメってことにすれば、そこで自転車同士の渋滞とかいざこざも減るし、そこに原付もつっこんでしまえば、車の邪魔にならないと思うのだ。
そして、自転車専用道を作るからには、そこは絶対的に自動車の駐停車は禁止しないといけない。なんせ、今車道を走ることが、路駐がいるから相当危 なくなっているし、そもそも路駐がいるから、それを避けるために、車同士の事故も起ってるから、路駐はもう飲酒運転と同じくらいの罰金にすべきだと思う。

それと、自転車を免許制にしないなら、少なくとも道交法に原付のような、自転車の特例項目を設けるべきだ。現状、制限速度も決まっていなくて、自動車標識に従うってのもおかしいだろう。
あんなチープな制動装置と細い車輪でぶっ飛ばしてるも危険だし、自動車標識勉強してないのに、それに従えってのも無理がある。
そして自転車にも罰則規定をきちんと設ける。

そのくらいせずに、ただ単に自転車に車道を走れってのは暴挙でしかない。
この前ニュースでやってたけど、歩行者が路上で事故に遭遇する割合って、8割が対車で、対自転車は2割にも満たないらしい。まぁその2割を減らすことは大事なのだが、その2割の危険を減らす変わりに、自転車が車相手に事故る割合が3倍も4倍も増えるかもしれないのだ。
そして、車の方も、無謀な自転車が多いにも拘わらず、事故ったら車の過失責任がかなりのものになる。その不幸はホントに理不尽なのだが、悲惨なのだ。
そうした不幸な事態を生み出さないためにも、この施策は慎重にやってもらいたい。
単に取り締まりの警察官増やして、道路見張ってりゃいいってもんじゃない。

そもそも、自転車は交差点を右折してはいけないって道路交通法の内容を、どれだけの人が知っているんだろうか・・・。
(軽車両はどんな交差点も2段階右折しないといけないのですよ。道交法上は。)
厳しくして罰金取っちゃえば、国庫もめちゃくちゃ潤って、赤字国債も減らせられるかもしれんけど。

ま、総理大臣が何にも知らなかったっていうのにTPP参加とか表明しちゃう国政状況じゃ、たぶん何にも考えてないと思うけど。
でも、この車道を走れって件は正直それまで特に問題としてもたびたび報じられていたとは思えなくて、震災以降自転車が増えたからって、唐突な気がしないでもないんだけど、どっからの要望なんだろうか。
なんか裏がありそうな気がするのは気のせいだろうか
ライブに行く前は若干不安だった。
今も静岡でラジオ番組をやっているとはいえ、すこぶるマイナーなシンガーとなっている。
懐かしさのあまり思わずチケットを取ってしまったが、果たしてどれだけお客さんがいるのかと。

『 相馬裕子 20th Anniversary Tour ~Thanks 20th!~ 』 in 東京

ライブツアーの最終地、東京渋谷Eggman。
昔、広島でそのライブハウスの名前を聞くたび、「行ってみたい」と思いながら、なぜか未踏の地だった。今、おじさんになって、そのライブハウスに足を踏み入れるとは思ってもみなかった。
そこは、ご本人がメジャデーでビューした際に最初にライブをした場所だったので、今回もそれがゆえに選んだ場所だったのだそうだ。私も20年以上行きたいと思っていたのと重なるその想いが運んでくれた、到達地(ちと大げさ)。

開演間近に行くと、チケットには「スタンディング」と書いてあったが、席が50席ほど用意されていて、すでにその席は埋まっていた。
当初の予想は杞憂に終わったが、それでも関係者席を含め100名もいるかいないか。今まで行ったプロの人のライブでは一番少ない客数だったかもしれない。
ご本人も「立ち見ですみません」って言っていたので、いつものライブはもっと少ないのかもしれない。
そして、来ていたお客さんの年齢層。さすが20周年。自分も含め、"かつて若者だった人達"がほとんどだった。

しかし、人数はともかく、始まってしまえばそこはプロのシンガーだった。
というか、実はCDではきれいな歌声だと思っていたが、正直、最新のCDの音量がなぜか低いので、もしかしたら声量がないのかも、という疑惑もあったので、そんなに期待していなかったのである(あれはCDの作りがおかしいのかもしれない)。
20周年なので、デビュー曲(アルバムからなのでそういうのか?)に始まり、懐かしい曲の数々が、しっかりした歌声で胸に響いてくる。
想像以上に。
さすがに20年、ずっと歌い続けているだけのことはあるのである(上から目線で失礼)。
そして、お客さんの数が少ないからこそできるのかもしれない、1人1人の視線をしっかりと受け止めながら歌い上げるその姿勢。
また、目を閉じて歌に全神経をそそげば、本当にそこにお客さんは自分しかいないのではないかと思えるほど、1対1で対峙して聞かせてくれるかのような感覚になる。
思わず「素晴らしい」とつぶやいてしまうほどだった。

このところ、精神的に微妙に安定しない日々が続く中で、今日は久々にゆっくりして、そして心にしみいる曲を生で聴く。こんなに贅沢な時間はない。
そして、その歌詞に励まされる自分。

♪泣いたり笑ったり 繰り返す毎日
 きっと誰でも 新しい自分を探している

 悲しみの数だけ 強くなれるのなら
 眠れない夜が続いても いつでも
 傷つくことなんて優しくなることと 恐れずにいたいの

(『東京の空』より)

20年、すべてが順風満帆ではなかっただろう。
でも、歌うことを続けていて、ライブができることを楽しんでいるかのようでもあった。
そんな楽しそうな彼女を見て、私も元気になった。
ありがとう。
そして、いまさらながら、また応援したくなった。
次のライブも行きたい。

と同時に。
やっぱり上手い人の歌を聞くと、自分も歌いたくなってくる。
結局、なかなかできていないのだが、ホント、歌いたい。
いまさらながら、この声を活用しないのはもったいない、と思える。
なんとかしようかな。